五条さんが、休めるようになりますように

五条さんが、休めるようになりますように
(休めるようになったら、津美紀といっしょにあそんでくれますように) 恵

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 泣く子も黙る呪術高等専門学校といえど季節の行事は大切にするもんである。今年も校舎玄関前に笹竹を設置する運びとなった。七夕の準備である。
 今年の装飾係の担当は2年生。真希が「食うなよ」などとパンダをからかいつつ飾り付けは完了した。折り紙製のちょっと不格好な吹き流し、ちょうちん、輪飾りがかわいらしい。呪専関係者各位が通りすがりに短冊に願い事を記して飾っているのをばっちり目撃していたので、転校したての虎杖悠仁くんが「俺も何か書きたいな」と思い立ったのはごく自然な成り行きであろう。夕飯と入浴を済ませ、その夜、彼は玄関へと足を進めた。一人の先客の影。
 五条悟だった。
 今まさに短冊を笹に括り付けようとしている。彼が手を伸ばしてやっと届く最も高い位置。目を凝らしてギリギリ文字が見えるかといったところだ。紐をぎゅっと固く縛り終えたところを見計らって、虎杖は肩越しに声をかけた。
「どんなお願い事したん?」
 巨体の動きがびくりと止まった。油をさすのを忘れたロボットのように、ぎこちない動きで首がこちらを向く。
「び、っくりしたあ」
「ごめん、急に話しかけて」
とは謝ったものの、普段飄々とした態度ばかり目にしているから、こんな風にうろたえる先生は新鮮で、つい深追いしたくなった。先生のことだ、「おっぱいに埋もれたい!」とかふざけたことでも書いたのかな。
「人に見られちゃヤバい願い事だったの?」
 五条はううん、と軽く唸る。おや、思ったよりも反応が悪い。本当にヤバい内容だったのだろうか。そんなもの衆目に晒していいのか? と内心思っていたところに、いかにも言いづらい、といった声色の返答。
「実はあれ、僕が書いたものじゃないんだよね」
 虚を突く回答だった。ますます興味が湧く。
「え、別の人の短冊飾ってあげてたってこと?」
すると五条はいよいよううん、と唸ってから、
「悠仁、お前秘密、守れる?」
と生徒の耳に囁いた。観念したらしい。
「あれは、恵が書いたものなの。恵が小学2年生くらいのときに」
「そんなに前に? ああ、確かに五条先生には世話になってるって言ってた」
 そう、と五条は顔を綻ばせる。柔らかい表情だ。

 幼い頃から、恵は何度も高専に出入りしている。高専が伏黒姉弟の保護機関となったことが原因だ。学長に顔合わせをするためだったり、学内施設で五条と稽古を行ったりといった用事の度に、五条は恵のもみじの手を引いて高専の門をくぐったのだった。
 その日も6月の下旬、七夕ももうすぐといった時期。夕刻、用事を済ませてあとは帰るだけ、というそのとき、玄関先の大きな笹竹は少年の目を引いた。五条の後輩たちがちょうど飾り付けをしている最中だった。見慣れた年中行事に特段興味も示さず帰ろうとする五条の手を、恵は珍しくきゅっと握り返す。
「恵?」
 たったそれだけだったが、つんつん頭の幼い弟子のささやかな主張に、一九〇センチの傍若無人な巨人はどうしてか、足を止めたのである。
 短冊、今書いて吊るしてもいいですか。恵がおずおずと、飾りつけをする後輩らにお伺いを立てる。彼らは快く短冊を飾る許可をくれた。笹の前に設置されている古びた学習机の上、「ご自由にお取りください」の色とりどりの短冊から、少年は空色の紙を一枚注意深く選び取っている。机に向かって何やら書き始めた弟子を興味津々でのぞき込もうとすると、
「なんだよ」
としかめっ面で強い拒否反応を示された。心外である。
「いや、普通見たくなるでしょ。見せてよ、減るもんじゃなし」
「やだ。願い事って人に言わないほうが叶うっていうだろ」
「だったら七夕の短冊の意味皆無じゃん」
「叶わない願い事ってわかってるから書いてるんですよ。七夕は捨てた夢を焚き上げる行事なんです」
「お前本当に小学生かよ。お前願い事叶えたいの、捨てたいの、どっち?」
 無視。生意気を通り越して呆れてしまう暗さである。捨てるようなどうでもいい夢なら見せてくれたっていいじゃないか。
「お姉さん、これつけていいですか」
 書き終えるや否や、彼は素早く同じく机上に置かれている紐を持って生徒の下に駆け寄った。慌てて五条も追う。
「あっ、見せろって」
「この人に絶対見えないところに付けたいんです」
 最強の五条さん捕まえておいて「この人」呼ばわりかよ。苦虫を噛み潰したような五条に、後輩たちはくすくすと笑う。様子を見るに、笹の、一番低くて飾りに埋もれる目立たないところに取り付けたらしい。ありがとうございました、と礼を伝えた恵を、五条は渋々といった様子で埼玉に送り届けたのだった。
 とはいえ、恵のいない間に見てやればいいだけの話である。後日高専に戻った五条は、恵が飾ったと思しき場所をがさがさと見漁った。準備初日から数日経っていたので短冊の数はおびただしい量に増えていたが、空色の短冊は容易に見つけることができた。ふふん、おばかさんめ。さて、何て書いてあるのかな。

「なんて書いてあったと思う?」
「ここまで来てクイズなの。何だろう、『強い呪術師になりたい』?」
「ううん、違う」
「何か欲しいものかいてあった。ふなっしーのグッズ!」
「全然違います」
「ええ、マジでわからん。正解は?」
「正解は――」

「はあ!?」
 思い切り素っ頓狂な声が上がってしまった。続いて、くつくつ、と笑いが漏れる。なんだか行きがけの窓に変な目で見られた気がしないでもないが、それはそれ、これはこれ。
「なんだよこれ、恵」
 ふふ、とほほ笑む。余計な愚痴は子どもの前で口に出さないと決めていたし、僕にしてはある程度実行できてるんじゃないかと思い込んでいたが、どうやらこの激務の異常さは十二分に悟られていたらしい。
 あの時、恵が口をつぐんだ理由もわかった。彼にとっては、これは叶えたいけど、絶対叶わないから捨てるほかない願い事だったのではないか。しかし、あれだけ生意気で無愛想な態度に隠れて、どうしてどうして。
「ばっかだなあ、最強の五条さんがこんなささやかなお願い叶えないわけないじゃん。括弧までつけちゃってさ」

「んで、あの時の短冊、今でも恵には内緒で僕が持ってるの。あんまりかわいいお願いだったもんで、つい」
「それでもって、七夕の時期にはこっそり飾ってんのか」
「そう、毎年。で、笹燃やす前にきっちり回収してる。つけるときはいつばれるかなあと思ってどきどきしてるからさ、まさか恵が来たのかと思ってびっくりしちゃった」
「悪かったって。――でも、未だに飾るのはなんで? いたずらのつもりなん?」
 虎杖の問いに、もちろんそれはある! と溌剌に返す教師。やっぱり五条先生は五条先生だ。まあでも、と彼は続けた。
「これは恵の願いでもあるけど、僕にとっての願いでもあるから。これってさ、つまり僕にもしものことがあった場合でもなんとかなる状態ってことでしょ」
 世界の均衡が五条の双肩にかかっている現在の状況は、あまりにもアンバランスで崩れやすい。だからこそ五条は若い後見の育成を通じて呪術界の改革を目指している。
「これ見たとき嬉しかったんだよね、恵と僕が、初めておんなじ方向向いて走れてる気がしてさ。恵は全然意図してなかったと思うけど」
 ぽつりと零れた本音。虎杖はそうか、と頷いた。
「大事なものなんだね、伏黒にとっても、先生にとっても」
「そ。ね、短冊のこと、絶対秘密だからね。言ったら恵、何が何でも問答無用であれ処分するに決まってるから」
 五条の生徒は、任せて! と元気に答えた。
「ありがとう。よし、僕目的は達成したしそろそろ任務行くね! 悠仁も早く寝るんだよ」
 時刻、夜二十二時半。玄関の扉が開く。笹の葉が風を受ける。
「応、お疲れ様っす! 先生、行ってらっしゃい!」
 てっぺんの水色の短冊も、五条の出立を見送るようにゆらりと揺れた。

(終)