4.幕間
五条が来ない。
夜蛾含め、わずかながらの年始休暇の間、帰省せず呪術高専東京校に残っていた面々はやきもきしていた。元旦、十時に職員室集合の約束なのだ。それなのに。
むろん、年中忙しない呪術高専もこの一月一日は、呪術師と窓の職に就く者は全面休暇ということになっている。任意参加で、みんなで初詣に出かけるのが毎年恒例なのだ。御三家の一翼を担う実家の関係で年始べらぼうに忙しいはずの特級呪術師は、どんな無茶なスケジュール調整を行っているのか知らないが、馬鹿真面目に毎年参加していた。
その五条が、来ない。いつも一番騒々しく、とにかくハイテンションな五条が。伊地知が先ほど、こっそりと伝えてくれたことを思い出す。
「五条さん、昨日も深夜まで残って仕事していて」
疲れが出たんだと思います、きっと。最近、五条が異様に根を詰めているのは夜蛾も知っていた。
職員の一人が、「五条さんの部屋、様子見てきましょうか」と気を利かせてくれたものの、夜蛾は首を振った。万一五条が室内でぐっすり寝ているとすれば、虎を起こすようなものである。危険だ。熟睡したあいつを起こしに行って無傷でいられるのは、夜蛾の知る限り夏油くらいだ。……、夏油くらい、だった。よした方がいいだろう。
夜蛾がメールをしてみても、二回電話をかけても、反応がなかった。現在、十一時。もう諦めて出かけるべきだろうか。
そう思った矢先に、職員室の扉がそろりと開く。長身の影。五条だった。
悟、遅いぞ。夜蛾はいつも通り彼に小言を言おうとして、言葉を飲んだ。
あの五条が、目に包帯を付けていない。サングラスすら。
「夜蛾先生、あの――すみません。遅れて」
声は、がらがらに掠れている。
「皆さんも、お待たせしてしまって、申し訳ないです。初詣、行きましょう」
笑った顔は、土気色。
こんな、こんなにひどい状態の五条を見たのは、初めてだった。
「悟」
「なんです? 今年はどこの神社に――」
「休め」
咄嗟に口から出た言葉はそれだった。
「いやいや。遅刻したけど、行きますって。僕がこの行事楽しみにしてるの、知ってるでしょ」
「休め。上官命令だ」
「今日は仕事じゃないでしょう」
「だとしても休め。ひどい顔だ」
五条は顔をひきつらせた。
「だとしても、大丈夫です。問題ない」
「大丈夫じゃないから言っている。目隠しも忘れて、そんな状態のお前を連れまわすわけにいかない。初詣なんて、大勢人が来るんだ。呪力で人酔いするぞ」
「包帯すればいいんでしょう。取ってきます」
「そういう問題じゃない。悟、自分のコンディションくらい把握できるだろう。頼むから、休んでくれ」
「大丈夫だって言ってるじゃないですか! 夜に全部吐いちゃったから、今はすっきりしてるんです。お腹空いてるんですよ」
五条は声を張り上げる。昨日の夜に嘔吐して、何が大丈夫だというんだろう。虚勢を張っているのは誰の目から見ても明らかだった。
「だからと言ってなあ……」
夜蛾と五条の口論の間に、すっと割り入る者がいた。家入だ。
「休め」
「医者として言ってんのそれ。診察受ける気すらないんですけど」
「とにかく休んでくれ」
「どこが大丈夫じゃなく見えるよ」
五条は大袈裟な身振りで、焦れた。芝居がかっていた。
「全部だよ」
「そんなことない」
「五条、本当に」
「硝子、何べん言ったら――」
「医師としてではなく!」
声を荒げた。家入が。五条は肩をこわばらせた。
続けて、若き反転術式使いは、夏油と五条と、かつて共に過ごした日々を未だ忘れることなどひと時たりともなかった家入硝子は、弱弱しく、告げた。
友達として、言ってる。
「五条、もう一度訊くよ。大丈夫か」
水を打ったように場が静まり返った。五条は、長い間口を閉ざして、じっと家入を見つめていた。家入もまた、五条に向き合っていた。きわめて、きわめて真摯に。そうして、ようやく、絞るような声が、漏れた。
「大丈夫なわけ、ないだろ」
五条の腫れぼったい目からはもはや何もこぼれ落ちないのを、家入はじっと見届けて、そして彼女は静かに目を閉じた……。
家入医師の提言により、五条悟には、七日間の休職命令が下された。
親友を殺したので、五条悟は、一週間休めることになった。